ら抜き表現の危うさ

ら抜き表現の危うさ

今回は皆さんがあまり興味の無いお話をします。

ら抜き表現という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

あるサイトによると

「ら抜き表現」とは、「食べれる」「見れる」「出れる」のように、本来「食べられる」、 「見られる」、「出られる」などというべきところを、「ら」を抜いて表現した(とされる) 可能表現のことだ。もちろん口語的表現であり、文章では(普通は)用いられない。

言葉が使い方の間違いを指摘されだしたのは今に始まったことではありませんが、

どの時代も過去と比べて劣勢をなじる言説は、よくあることです。

以前、ある広報の仕事でわざわざ「ら」を取るような指示があった時には

さすがに驚きました。

言葉の乱れは、時代が幼稚化を引き起こします。、私にはそう思えてなりません。

テレビを見ていて出演者のコメントで

「これ、食べれる~」

「ここから出れますよ!」

「大丈夫!着れる!」 などなど・・・・・

しかし、テレビのテロップでは、

「これ、食べられる~」

「ここから出られますよ!」

「大丈夫!着られる!」

と補正した文章が流されます。

テレビの良心を感じる瞬間です。

「1億総白痴化」という言葉を御存知だろうか?

引用を引けば

一億総白痴化(いちおくそうはくちか)とは、社会評論家大宅壮一が生み出した流行語である。「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間想像力思考力を低下させてしまう」という意味合いの言葉である。

とあります。

大宅壮一が今生きていたらなんと言ったでしょう?