地方の衰退は過去の自分たちの功罪
最近なぜだか田中角栄の話題を多く目に機会がふえました。
稀代の偉人のエピソードは、やはりスターのいなくなった今の時代には懐かしく映るのでしょう。
最近の経済全体が何か高度経済成長に向かう前、戦後という言葉から抜けきらない日本を彷彿させているのかも知れません。
「日本列島改造論」
2016年、「田中角栄」についての書籍が何冊もベストセラーになりました。停滞する日本にあって、かつての高度経済成長期を牽引した稀代の人物を懐かしむとともに、あの時代が持っていた熱気と繁栄よ再び、という願いがブームの背景にあったのかもしれません。田中角栄氏がブルドーザーのように押し進めた列島改造は確かに地方の所得と人口を増やし、活気を創出しました。
今の状況を鑑みて過去を振り返るのは、人間の知恵に他なりませんので、大変結構です。
「過去の繁栄を再び」という機運が盛り上がってしかるべき状況ですので、時代を牽引した偉人に学ぶことは、大歓迎です。
そこでふと考えました。
何かが上手くいっているとき、又は、上手くいっている人を見ると、必ず真似したくなります。模倣すること、学習することは良いことですが、そのやり方が違う場所で通用するとは限らない、ということを「学習」できていないという事です。
日本列島改造論で田中角栄が唱えた、地方創世は正しかったし、それによって地方が潤い、日本全体が活気に満ちていました。
しかし、そのやり方もいずれ終焉を迎え、旗を振っている先頭者がふと振り返ると、誰もいなくなっていた。迷うことなく、師の教えを守っていた人々は、いずれ路頭に迷い、新しい指導者を待っている。
いつの時代もこの失敗を繰り返し学んできたのです。
今の指導者はだれなのか、
スターがいなくなった時代の先陣は日々入れ替わり、今はさしずめ都庁の最上階に君臨する緑色の魔女というところでしょう。