時代を映すコピー、広告の役割
- 2016.01.08
- 気づき
最近ネットで見つけた脇田直枝著「広告は、社会を揺さぶった」を愛読しています。
巻頭の帯書きに「広告はジャーナリズムではない。しかし世の中の人心は広告の影響で揺れ動く。女性の自覚とと責任を応援した『ボーヴォワール的広告』を70年の歴史とともにたどる。」とある。
確かに広告は、ジャーナリズムとは、別の世界で私たちに影響を与えているように思う。
この本は、女性目線で広告における女性の社会的地位、立場が時代により色濃く反映されていることを如実に語ってくれている。
ボーヴォワールとはフランスの哲学者で著書「第二の性」で『人は女に生まれるのではない。女になる』という名言を残していることでも有名。また、サルトルと生涯を通じて「契約結婚」を貫いたことも世間の知るところです。
フェミニズムの台頭者として、世界中の女性に知恵と勇気を与えた功績は大きいものです。
さて、普段目にしている新聞やテレビの広告のコピーが少なからず安直すぎるような気が昔からしていました。
それは、単純明快で琴線にふれるようなものがないだけでなく、
1行数十万円という価値を感じられなかったかもしれません。
しかし、新聞やテレビ、ラジオといった四大マスメディアにとってコピーは生命線です。
私たちが考えている以上に、あらゆる感性を総動員させてコピーライターがこの仕事に心血を注いでいるかをこの本の中では感じることができます。
最近、ホームページでれ、チラシや広告であれ、言葉の重要性が自分の中で肥大化していっていることを感じています。それは、若者の文字離れや「言葉」が時代にとり残された感を感じてるからかもしれません。
美しい日本語が広告の訴求力を底上げした時代は終わったのでしょうか。