早く飛びたがってたMRJ
- 2015.11.19
- これ知ってる?
先日、国産ジェット旅客機MRJの初飛行が行なわれ、終了後のテストパイロットの感想に「飛行機が飛びたいと言っている感じでフワッと浮いた」という言葉があった。この言葉がMRJ計画の今までの思いを語る一言のように感じ、とても感動した。
三菱航空機のMRJ(三菱リージョナルジェット)は、航続距離3,300km、「MRJ70」78席、「MRJ90」92席の座席数で通路はセンターに一本、一列4人掛のバスみたいな客席、荷物室を床下でなく後ろにまとめたため、客室内は広く尚かつ外見はスリム。ボーイングやエアバスのような世界を就航する大・中型機と違い、リージョナル(地域)ジェットと呼ばれる飛行機で、秋田空港でもカナダの「ボンバルディアCRJ200-50席」とかブラジルの「エンブラエルERJ170-76席」を見ることが出来る、花巻空港にはFDAフジドリームエアラインズが1号機から9号機まで色違いのカラーリングされたエンブラエル170が発着している、MRJはこれらと同じで、ボーイングやエアバスが大衆車(100億円)から高級セダン(500億円)のメーカーだとするとMRJは軽自動車(50億円)のような位置と言える。
戦前は優秀な戦闘機を生み出した航空機大国の位置にあった日本だったが、戦後GHQの「航空禁止令」により昭和27年までの7年間、日本航空機産業は何も出来ず悔しい思いをしていた。1964年(昭和39年)東京オリンピックの年にあの国産旅客機初のYS-11が初飛行して以来約50年の時を経て国産初のジェット旅客機が飛んだことになる、日本航空機産業にとって世界進出の一歩として涙が出るほど嬉しいことであったと思う。
三菱と言えば戦前の零戦を開発した会社である、零戦の優れた性能は、ぎりぎりまでの「肉落とし」による軽量化がもたらした結果だと言われている、その精神を受け継ぐようにMRJも「10万分の1グラム単位」の軽量化に挑む、まさにぎりぎりへの挑戦だったと言う。
エンジンは、P&W社「PW1200G」でMRJが世界で初めて採用したGTF(Geared Turbofan)という新しい仕組みのエンジンだが、今では数社の新型機に取り付けられている。このエンジンはファンとタービンの回転数をギアによってそれぞれ最適な回転数に制御できるエンジンで、燃費の良さと騒音に大きな効果が期待できると言われている。先日の初飛行した時のテレビニュースで、空港で見た感想を聞かれた女性が「音が静かだった」と言っていた。騒音効果は本当のようだ。
2011年の初飛行の予定が、飛行延期を繰り返してしまった。延期は航空機業界では良くあることで、あのボーイング社でさえ787のデリバリーまで時間が掛かってしまった。ましてや日本の現状はYS-11の技術者は皆引退し、国内の旅客機開発のノウハウはほぼ残っていない。はじめからの手探りの状態で日々新たな問題に直面し、それを乗り越える連続だったと言う。まさに三菱航空機の江川前会長が「産みの苦しみ」と言っていたように、四度の延期は信頼上痛いところだが、やむを得ないと思う。
この先、アメリカで飛行試験を行った上で2017年にはANA、JALにデリバリーされる予定だが、両社共に運行時間1~2時間程度の「地域路線」に飛ばすと言っているので、一年半後ぐらいには秋田空港でもANA色、JAL色に化粧したMRJを見ることが出来ると思う。そうなったら真っ先に見に行こう。
※この文章には、日刊工業新聞「ニュースイッチ 杉本 要氏記事 連載 基礎からわかる!MRJ」を参考・引用させてもらった箇所があります。