おもたろう先輩 見つけた

おもたろう先輩 見つけた

最近、藤田嗣治の映画「FOUJITA」が上映されると知った、所によっては上映中とのこと。今なぜ藤田嗣治なのかは分からないが、テレビなどで藤田嗣治のことがよく出て来る。

ツグハルが正しい名だが「ツグジ(パリではこう呼ばれていたという)」だと思っていたので「藤田ツグジ」。と聞くと平野政吉美術館の「秋田の行事」が頭に浮かんでくる、世界最大のキャンバス壁画といわれる絵は、これまで数回美術館で見て来たが、あの大きさと迫力ある人物描写に、宗教画を見た時のあの何とも言えない生々しい圧力と同じ圧力が体の上から伸し掛かり、押し潰されそうな気持ちにいつもなった。あの暗黒な雪国の空の色も、そうさせるのかも知れない。寒くあり、また暖かくも感じられた。

藤田嗣治の絵は「乳白色の肌」といわれる墨絵の様な独特な世界があるが、「秋田の行事」には感じられない。あの色は、やはりパリという環境でしか生まれなかったのだろうか。パトロンである平野政吉の希望で描かれたこの絵は15日間で完成されたという、秋田の人間ではないのに、当時の秋田の行事を視覚的に知る事がよく出来たものだと思う、秋田の宝物だ。

 

話は変わり、高校の先輩に「重太郎(しげたろう)先輩」という人がいた、今でも生きてると思う。美術部の一年先輩で、後輩の中には、親しみを込めて「おもたろう先輩」とか「ももたろう先輩」とかで呼んでいた。

お互い汽車通学(その当時は電車じゃなかった)だったので、部活後は一緒に帰った事もある。帰り道での忘れられない話がある、おもたろう先輩がある日「いや~っ、もう四日も風呂に入ってないなぁ~」と朝の通学列車の中で、ポツリとつぶやいたそうだ。当時の朝の列車の混み様は、東京の通勤ラッシュ並みの箇所(客車のデッキ付近)もあり、飛び乗りした生徒たちで入口付近はギュウギュウだった、押し付けられ先輩にくっ付いていた女子高生たちもいたのだろう、そんな中で言ったのだから、女子はスッスッと先輩から離れて行こうとしたという「自分の周りに隙間ができて快適だった」と、したり顔で話す先輩。後輩たちはそれを聞いて大笑いした思い出がある。

先輩は卒業後、絵の大学へ進み働かず絵の勉強を何年かしていた。

そんな先輩に会いたくて二度程、中央線沿いのアパートに遊びに行くと丸ストーブに大鍋をかけて、何かコトコト煮ていて「俺が作ったモツの煮込み食うが…。安くていっぱい作れるから、何日も食える…。」といって御馳走してくれた。生まれて初めて食べたモツの煮込みがその後、好物となり自分でもアパートで作って食べた思い出もある。その後、先輩がパリに行くと聞いた、しばらくしてパリからエアメール一通届いたきり、37年間、何処で何をしているのか今まで分からなかった。

先日、遊びでネットで「重太郎」と打って検索してみたら、東京で個展を開いている重太郎(じゅうたろう?)があり、開いてみたら訳の分からない絵が出て来て「あっ、先輩らしき匂いがする絵」と思った、「JUTARO」たぶん「おもたろう先輩」だろう…、見つけたよ。